私たちの会は、夫婦別姓で法律婚ができるように法律改正をしてもらいたいと思っている者が集まって結成した会です。2001年の夏に結成し、以来、今日まで辛抱強く別姓法案成立のために地道な活動を続けてきました。
私たちの会のひとつの大きな特色は、「夫婦別姓のままで法律婚ができるように民法を改正してもらう」活動に焦点を絞っているところです。1996年の法制審答申以来、夫婦別姓に関する市民運動は、ほかの多くの民法改正要求と抱き合わせの形で行われることが多かったのですが、そのように他の問題と抱き合わせにすると夫婦別姓以外の問題について意見を異にする人は仲間に入りにくいと感じるものではないでしょうか。とにかく夫婦別姓で法律婚できる制度を望む人の声をできるだけたくさん集めるため、この一点に活動を絞ったのです。
私たちの会のもうひとつの特徴は、私たちの会が自民党の野田聖子議員を顧問にお迎えして発足したことです。野田聖子議員は与党女性政策提言協議会の選択的夫婦別姓プロジェクトチームの初代座長を務められたり、マスコミでも積極的に夫婦別姓制度の必要性をアピールされ、ここ数年、与党内で最も熱心に夫婦別姓の問題に取り組んでこられた議員です。それゆえ私たちの会は野田聖子議員を草の根で支援することを通じて自民党内に夫婦別姓の法制化に対する理解の輪を広げ、夫婦別姓選択制を実現してもらおうと考えたのです。
しかしながら、2004年夏以降、過去の活動を振り返り、自民党議員先生への働きかけに関して活動方針を軌道修正していくことになりました。
※2001-2006年の活動について記載しています。
2006年9月以降の詳細な活動は本ブログのカテゴリ「協議会の活動」をご参照ください。
衆議院議員定数は480名ですが、このうち自民党議員だけで過半数を超えてます。法改正は自民党議員の賛同なしではありえません。このため私たち協議会は設立当初から野田聖子議員のご指導を賜りながら、自民党の議員の方々に私たちの声を届るべく、メールを書いたり、お手紙を書いたり、ご挨拶に行ったり、とにかく頑張りました。
野田聖子議員らに紹介議員になっていただいて、154回国会(常会)の法務委員会にに提出された約2907名の署名による「民法改正による夫婦別姓も可能な制度導入に関する請願」は私たちの会員が一所懸命集めたものです。
紹介議員になって下さったのは、
受理渡海 紀三朗君
受理番号 4696号 上川 陽子君
受理番号 4825号 熊代 昭彦君
受理番号 5308号 伊藤 達也君
受理番号 5502号 伊藤 公介君
受理番号 5503号 菅 義偉君
受理番号 5957号 野田 聖子君
受理番号 6113号 石井 郁子君
受理番号 6950号 池坊 保子君
受理番号 6951号 菅 直人君
受理番号 7095号 白保 台一君
受理番号 7096号 野田 聖子君
受理番号 7097号 保坂 展人君
第1次小泉内閣で入閣した森山眞弓法務大臣は夫婦別姓賛成派でした。森山大臣は政府提出による夫婦別姓法案の成立に向けて積極的に取り組んで下さいました。野田聖子議員も新聞やネット、テレビなど各メディアで積極的に賛成の発言をして下さいました。自民党議員の山本明彦先生は国会の法務委員会での代表質問で賛意を表明して下さいましたし、同じく自民党の笹川尭先生は私たちのネット連載記事であるカモミールに賛成の意を寄稿して下さいました。野田聖子議員のHPでも紹介されていますが、自民党内に「例外的に夫婦別姓を実現させる会」というのができ、45名もの自民党議員が名前を連ねて下さいました。
2001年秋の臨時国会時の自民党法務部会では政府提出法案としての選択的夫婦別氏制導入が検討され、その翌年の通常国会では、選択的という文言が誤解を招き易いという指摘を受け、同姓を原則としながら別姓を可能とする「例外的夫婦別氏法案」が自民党法務部会で検討され、私たちの期待は高まりました。ところがこれらの法案はすべて一部強硬な反対派議員によって断念させられました。
別姓での婚姻届を一日も早く出したいという私たちの強い願いを踏みにじってはならないと、野田聖子議員は実現させる会の議員の方々とともに、自民党による夫婦別姓法案、いわゆる家裁の許可を要する例外的夫婦別姓法案を議員立法として国会に提出するべくご尽力下さいました。この自民党議員による例外的夫婦別姓法案は法務省案(政府提出法案)に比べると家庭裁判所の許可を必要とする制限的条件があり、内容的に後退したと評されましたが、それでも本当に困っている人にとって救済の道が開けるということで野田議員はじめ実現させる会の議員の方々は力を尽くして下さったのです。
自民党内で大きな声を上げて反対する議員が数人いたため、議員立法案は党内の法務部会で了承されず、しばらく棚上げになっていましたが、2003年11月の衆議院議員選挙の直後、私たちの期待は再び高まりました。反対派議員の先頭で旗を振っていた高市早苗元議員や太田誠一元議員が落選したからです。
しかしながら、他方で、実現させる会のメンバーではないものの、困っている人がいるならと夫婦別姓選択制の導入に理解を示して下さっていた野中広務議員が引退し、山崎拓議員、加藤紘一議員、橋本龍太郎議員などもかつての勢いを失ってしまいました。こうして自民党議員主導による夫婦別姓選択制の実現の期待は、2001年から2003年にかけてぐっと高まり、2004年に入って急速にしぼんでしまったのです。
実現させる会による立法化が手詰まり状態となってしまうなか、私たちの会は夫婦別姓選択制法制化の火を消さないように、頑張りました。2004年12月には夫婦別姓の法制化を求める緊急院内集会を司法書士女性会とともに共催し、小泉総理への公開質問状を採択、自民党党本部に公開質問状を提出しました。年明けの2005年1月には、司法書士女性会が首相官邸訪問を実現させ、細田官房長官から「個人的に賛成」という意思表明を引き出すという成果をあげました。さらに2月には再び院内集会を司法書士女性会とともに共催し、とにかくこの問題を議員が忘れることのないよう、要望の声があるのだということを継続して訴え続けました。ところが、たいへん残念なことに、そのような地道な努力の継続のカウンターをゼロに戻しかねない大きな出来事が起こりました。それが9月の解散総選挙です。
今回の選挙に関して残念だったのは、国民の関心がマスコミによって郵政民営化に主に仕向けられ、夫婦別姓などマイナーな争点はまったく取り上げてもらえなかったことです。当会でもアンケート調査を取ったり、会員に呼びかけたりと出来る限りのことはしたのですが、解散総選挙が急で、準備が十分にできなかったため、情報発信や組織的活動が思うようにできませんでした。さらにいっそう残念だったのはその選挙の結果です。一方で、これまで夫婦別姓選択制の実現に向けて多大な努力をして下さった私たちの会の顧問、野田聖子先生がみなさんもご存知の通り、郵政民営化をめぐって自民党離党を余儀なくされました。他方では、何名かの夫婦別姓制度に反対の議員が自民圧勝の追い風に乗ってカムバックしました。
夫婦別姓法律婚制度の法制化をめぐる客観的状況はこのように悪化していましたが、私たちはそのような中にも希望的要素を見出そうと努力してきました。 自民党内でこれまで夫婦別姓でも婚姻届を出せるようになる制度を法制化しようとこれまでご尽力くださっていた松島みどりさん、笹川尭さん、山本明彦さん、上川陽子さん、河村建夫さん、菅義偉さんなどが当選なさったことは言うまでもありませんが、その後メールや事務所訪問などを通じてアプローチを重ねるうち、今回の選挙で「刺客」または「小泉チルドレン」と言われた新人議員の先生達の中にも、夫婦別姓選択制に理解ある人がかなりいることがわかりました。そこで、私たちの会ではこの1年間、これらの賛成派の議員の方々に私たちの要望を伝えるべく地道な努力を行ってきました。
そのような私たちの努力をあざ笑うかのように誕生したのが9月に誕生した新内閣です。安倍内閣で起用された女性閣僚のうち、山谷えり子内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)はネット上でも著名な夫婦別姓反対派議員で、高市早苗内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・科学技術政策・イノベーション・少子化・男女共同参画・食品安全)は第154回国会で夫婦別姓反対の請願署名の紹介議員としてもっとも積極的に選択的夫婦別姓制度の成立に反対した議員です。ちなみに、同国会では、長勢甚遠現法務大臣、伊吹文明現文部科学大臣、松岡利勝現農林水産大臣も夫婦別姓反対の請願署名の紹介議員となっています。夫婦別姓の法制化の問題がしばしば男女共同参画や教育(子供への影響)などと結び付けられて議論されること、法務大臣が法制化の可能性の重要なキーパーソンとなりうることを考えると、上記のような内閣の布陣はは法制化にとって非常に不利です。安倍総理自身は夫婦別姓に対する立場を公的には表明しませんが、安倍総理のブレーンといわれる八木秀次教授(高崎経済大学)は夫婦別姓の法制化に強く反対しており、また、山谷えり子議員などを厚遇しているところなどから見ても夫婦別姓の法制化を推進してくれることにほとんど期待は持てないと言ってよいでしょう。
安倍政権で夫婦別姓法案実現が絶望的になっていましたが、安倍総理は突然辞任し、福田氏が首相に就任しました。福田氏は 小泉内閣で男女共同参画を担当したこともあり、夫婦別姓法案 に個人的には反対ではありませんでした。しかし、自民党内で 福田氏に対する反発が強く、あっという間に首相の座を追われ ることになりました。また、福田氏の後に就任した麻生氏も、 必ずしも夫婦別姓法案反対派というわけではありませんでしたが、麻生氏の首相就任を支えたのが、安倍派、福田派(どちらも森派から派生。森派は派閥としては一般に夫婦別姓反対派) でしたので、別姓法案を期待できるわけはありません。私たちの会にとっては大変つらい時期でした。
2008年のリーマンショックから始まった世界的な金融不況の影響で、日本経済は大きく落ち込むなか、苦境から脱する道筋を示せないどころか、麻生首相の数々の失言によって自民党政権は内部崩壊していきました。国民の間にかつてないほど政権交代の機運が高まり、2009年8月、追い風に乗って民主党政権が誕生しました。民主党は300を超える議席を獲得し、法案を党単独で通すことができる絶対多数を確保しています。民主党は以前から夫婦別姓選択制度を含む民法改正法案を国会に何度も提出してきました。スタートしたばかりの鳩山内閣には、法務大臣に千葉景子氏が就任し、法案の実現に意欲を示しているという報道がつい最近出されました(2009年9月27日)。夫婦別姓選択制度の悲願が実現される展望が開けてきました。私たちにとってこの1年が勝負かもしれません。
民主党は党としては夫婦別姓選択制度に賛成ですが、党内には個人的には賛成していない人も含まれていると見られ、党内の賛成派がどれくらいの割合でいるのかあまり明らかではありません。民主党に法案を通してもらうためには、有権者からの働きかけが欠かせません。
夫婦別姓選択制がないために困っていても、どれだけ困っているか世間一般ではよくわかっていない人も多いのが現状です。遠慮して声を上げないでいると、実際は困っていないのじゃないかなどと余計な口を挟む評論家などが現れます。法改正を心から望む私たち自身が自分たちの窮状と要望を訴えていかなくてはいけません。そうして世間一般の人達に私たちの困っている現状を知ってもらい、選択制にするというほんの小さな改正で私たちが救われるのだということを理解してもらわなくてはなりません。ひとりひとりの小さな声でも声をあげ続けること。小さな声でみんなであげれば大きな力になっていきます。みんなで声をあげ、法案実現へつなげていきましょう!
私たちの会員のなかにはもう20年も夫婦別姓選択制度の実現を待って待って待ちくたびれている会員がたくさんいます。生きているうちに実現が叶わなかった悲しいケースもあります。何故こんな簡単な法改正が通らないのかと焦りが怒りとなって爆発しそうになることもあります。でも日本の社会はゆっくりとしか変化しないのです。それでも働きかけをやめてしまうと、本当に何も叶いません。焦らず、忍耐強く、たゆみなく働きかけていくしか道はありません。